教室の初期の頃を支えてくれた橋本孝之さんが、5/10(月)にガンのため逝去されました。享年52歳でした。
昨日、奥様からメッセージをいただき、その後、奥様と電話をしてお話しを伺いました。お知らせをいただいた時は受け入れ難く、すぐには理解できず僕はかなり動揺しました。奥様は気丈に、努めて冷静に話をしてくださいました。大変な中お話しをお聞かせいただきありがとうございました。
橋本さんは教室を立ち上げてすぐに通い始めてくれました。とある本屋さんに置かせていただいたフライヤーを見て連絡をくれたとのことでした。年齢も近く、ボサノバ以外の好きな音楽ジャンルも重なることが多くてすぐに意気投合しました。
発表会は第一回目から参加していただき、一緒にライブもさせていただきました。ライブで披露してくれた即興演奏、かっこよかったな〜。いつも衣装やアレンジにこだわる方で、教室の中でもファンが多かったです。
ご自宅に招かれて奥様の手料理までいただいたことも何度か。楽しい時間を過ごさせていただき、本当にお世話になっていました。
長らく教室に通っていただいていましたが、即興演奏への道へ進みたいとのことで教室でのレッスンは終了しました。その後は「.es」というユニットやソロ活動を始め、saxを片手にあちこちで活躍されていました。
橋本さんが東京に行かれたのと、僕がジャズ以外の即興音楽への興味が薄れていったこともあり、最近は年賀状のやり取りぐらいでした。が、ふとした瞬間に橋本さんのことを「どうしてるんかな〜」と思い出すことが多かったです。最近も僕が楽譜の販売を始めたことを橋本さんはどう思ってるんやろか?と考えていた矢先に飛び込んできた知らせでした。
彼が教室のレッスンを止める時にも色々と話をして、その時に彼が「自分の音楽活動について焦りがある。先生はどうですか?」と問われたのが印象的で、その後その言葉通りにものすごい勢いでライブやCD発売など精力的に活動されました。そんな橋本さんの活躍する姿を見るたびに、僕とは違う道だけどすごいな〜と励みになっていました。
今思うのは、あの時の思いを少しは成し遂げることができたのかな?と。もちろん本人的には道半ばだったと思いますが、それでも一生懸命走り続けた橋本さんは凄い人だったなと改めて今思っています。
「人はいずれ死ぬ」。そんな当たり前のことは理解しているつもりだったし、また少しは覚悟もしていたはずなのに、まだこういう形での人との別れに自分の中でも整理がつかず、なかなか上手く受け入れることができません。かなり散らかった文章になっていると思います。乱文・長文申し訳ありません。
橋本さんに出会えたことに感謝し、改めて心よりご冥福をお祈りいたします。